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ダクタク2022年6月 ブログトップ

ダクタク句集2022年(令和4年)6月 [ダクタク2022年6月]

6/30thu
果樹の実の 普段のように 夏越しかな
  (かじゅのみの ふだんのように なごしかな)
   ※家を取り巻くように狭い土地にいくつもの果
    樹があり、今年も至極順調だ。このような酷
    い環境でもと思わざるを得ない。今日も酷暑。

6/29wed
半休を 取りて谷中の 沙羅を見に
  (はんきゅうを とりてやなかの しゃらをみに)
   ※勤務時代の半休を思い出した。昼前に会社を
    辞すともう自由、どこに行ってもすぐそこ。
    この季節には日暮里駅に行って、谷中、上野
    を通って御徒町まで。こんなクソ暑い日では
    なかった。

6/28tue
じりじりと 梅雨明けの日の 静かなる
  (じりじりと つゆあけのひの しずかなる)

松落葉 園児マスクを 外さざる
  (まつおちば えんじますくを はずさざる)

片陰を 六月とても 片陰を
  (かたかげをろくがつとてもかたかげを)
   ※梅雨が明けた。今度の明け方が如何に稀なこ
    とかを述べ立てる。仕方がない、こっちも茫
    然自失である。

6/27mon
ニュース見る プラム凍るを 砕きおり
  (にゅーすみる ぷらむこおるを くだきおり)
   ※ニュースを見続けることも戦争反対の意思表
    示だとか。それにしてもかなりの苦痛を伴う。
    ウ軍劣勢を仔細に伝える映像が続く、ついプ
    ラムをがぶりと・・・。
    いかん、いかん、昔の歯と違うのだから。

6/26sun
今朝1メートル20の桔梗咲く
  (けさいちめーとるにじゅうのききょうさく)

生きており 鼻毛が騒ぐ 青葉風
  (いきており はなげがさわぐ あおばかぜ)

6/25sat
後頭部 撮りて見入るや 夏の月
  (こうとうぶ とりてみいるや なつのつき)
   ※「後ろ髪がもじゃもじゃだよ。床屋に行った
    ら?」と言われて鏡の前に。スマホをかざし
    カメラで見れば、自らの後頭部がチェックで
    きる。「まだまだ大丈夫!」。しかし便利ば
    かりではない。後頭部のてっぺんの薄さをい
    やでも確認することになる。お月様。

6/24fri
返信に 水ようかんが あそことぞ
  (へんしんに みずようかんが あそことぞ)
   ※妻の留守は四季を問わず快適だが、今日は当
    地も初の真夏日になろうかという暑さ、節電
    協力ではないがエアコンなしでいく。

6/23thu
沖縄忌 後の沖縄 よろしくと
  (おきなわき のちのおきなわ よろしくと)
   ※1945年6月海軍司令官の大田実海軍中将
    は自決直前に海軍次官にあてた電文で、沖縄
    戦の惨状と沖縄県民の献身をつづり、「後世
    特別の配慮を」と訴えた。
    原文の最後は以下の通り。
    「一木一草焦土ト化セン 糧食六月一杯ヲ支
     フルノミナリト謂フ 沖縄県民斯ク戦ヘリ 
     県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ 賜ランコ
     トヲ」
    復帰後の50年、特別の配慮がなかったとは
    思わないが、十分だったとはとても思えない。

6/21tue
夏至の陽は 毒消しとなる 街に出よ
  (げしのひは どくけしとなる まちにでよ)

黄金虫 ぶどうの葉食う かすかなる
  (こがねむし ぶどうのはくう かすかなる)

6/20mon
方丈を 走る囃子や 山車なくも
  (ほうじょうを はしるはやしや だしなくも)
   ※夏の催しのお祭り、盆踊りを忘れないでと、
    祭り囃子をスピーカーに載せたクルマが町内
    を回る。かえって寂しいかな?とも思うが町
    内の役員のせめてもの心配り。

6/19sun
父の日や 藤村が字を 真似しおり
  (ちちのひや とうそんがじを まねしおり)
   ※父は若い頃から島崎藤村に傾倒していた。昭
    和20年代の家の本棚に藤村全集が揃っていた
    し、単行本、詩集も豊富だった。なによりの
    証拠は藤村の字、書体に憧れ、懸命に真似て
    いたことだ。毛筆もペン字も後年聞かされて
    から眺めると随分似ている。さすがと思う。

6/17fri
梅雨昏し 四山のあるを 瞑想す
  (つゆくらし しざんのあるを めいそうす)
   ※曇り空の裾に真っ黒な雲が広がり急に暗くな
    った。暗さは増すのに雨は降り出さない。近
    くに高い山があって周囲に立ち塞がっている
    様を想像できる。

6/16thu
あじさいは 素焼きがいいか 惑いおり
  (あじさいは すやきがいいか まどいおり)

鬼灯を 鳴らす名人 亡母なりき
  (ほおずきを ならすめいじん ははなりき)
   ※赤く熟れた鬼灯の実を取り出し、楊枝等で慎
    重に中の汁体(種?)だけを取り除け、外側
    の皮のみとする。これを口に入れ、空気を入
    れて膨らましたら舌と口蓋の間に挟んで空気
    を出し、音を出す。
    汁欲しさに何度も作りはしたが、一度も鳴っ
    たことはなかった。

6/15wed
梅雨寒や テレビの欄は スルーして
  (つゆざむや てれびのらんは するーして)

アジサイや 紙と腕を越え 色過剰
  (あじさいや かみとうでをこえ いろかじょう)
   ※絵画教室も地味に控えめな集まりを続けてい
    るうちに、当市コロナ禍もはっきり下火にな
    ってきた。持ち寄ったアジサイは色の多彩さ
    だけでなく、形も様々だ。描くには当惑気味。

6/14tue
虞美人草 昭和遠しに 頷きし
 (ぐびじんそう しょうわとおしに うなづきし)
   ※降る雪や明治は遠くなりにけりは大学生だっ
    た中村草田男が昭和6年に詠んだ名句。明治
    が行って20年の頃、昭和が行って今は34
    年。計算するまでもないが。

6/13mon
妻帰る 三浦三崎の 開き鯵
  (つまかえる みうらみさきの ひらきあじ)
   ※フェリーで久里浜から帰って来る。こっち岸
    も魚は本場だが、持たされるままに鯵の干物、
    申し分ない。

6/11sat
値上げにも 三度の飯や 梅雨晴れ間
  (ねあげにも さんどのめしや つゆはれま)

泰山木 エバーグリーンと 唱えた日
  (たいさんぼく えばーぐりーんと となえたひ)
   ※元勤務先製鉄所の50年間の軌跡をドキュメン
    タリーに仕立てて放映していた。懐かしかっ
    た。50年前の発足時の熱い思いは事業の様変
    わりはあっても今も当事者の胸の中にあると
    感じた。

6/10fri
立葵 赤を框の 前に見る
  (たちあおい あかをかまちの まえにみる)
  ※当地ではタチアオイの咲き始めと琉球月見草が
   いつもいっしょだ。そしてタチアオイの最初は
   大抵赤。今年はそれらよりも梅雨の入りが先行
   した。

6/9thu
方丈記 古き女優の 声のごと
  (ほうじょうき ふるきじょゆうの こえのごと)
   ※愛聴していたYouTubeコンテンツが消え怒っ
    ていたが、そこは無尽蔵、類似サイトも多く、
    探す楽しみを味わっている。方丈記解説文の
    朗読ではナレーターがあの田中絹代の声のソ
    ックリさんで気に入っている。

6/8wed
盆踊り 中止を決めて 梅雨入りぬ
  (ぼんおどり ちゅうしをきめて つゆいりぬ)
   ※町内の役員会、3年連続で盆踊り取りやめを
    決めた。子供や年寄り中心の催しだから、も
    しものことを考えての決断。

6/6mon
蜻蛉消え 紫式部も 五月闇
  (かげろうきえ むらさきしきぶも さつきやみ)
   ※YouTubeで聴いてきたNHK古典講座「紫式部
    日記」が忽然と消えた。NHK関連の著作権者
    側がアカウントごと消去したらしい。
    ウワー、突然こんなことがァ・・・愕然とし
    た。王朝日記シリーズでは更級日記、和泉式
    部日記、蜻蛉日記と聴いてきたが、それらは
    全部消えた。いずれ繰り返し聴くはずだった。

6/4sat
うこぎ味噌 作らず終いと いい給ふ
  (うこぎみそ つくらずじまいと いいたもう)
   ※格好の話題にうこぎ味噌が浮かび電話をした
    が、今年はとりやめたと。垣根の新芽がやや
    少なかったから様子を見ているうちに・・・、
    とのことだ。電話することが目的だった。
    うこぎの天ぷらが話題になった。ネットで買
    えるかな。

6/3fri
五月晴 早書き無理も 苦にならず
  (さつきばれ はやがきむりも くにならず)
   ※しゃちほこばって字を書くと手と指がこわば
    って、ひどい時には筆が暴走する。気をとり
    直して持ち直して書くと回復する。結構同じ
    症状の人がいるという。老化現象の一つとか。
    なに、緊張して字を書く機会なんて殆どない
    し、あってもゆっくり書けばいい。

6/2thu
あじさいや 慎重いまだ 剥がれざる
  (あじさいや しんちょういまだ はがれざる)

ドクダミの 節で曲りて 武骨なる
   (どくだみの ふしでまがりて ぶこつなる)

6/1wed
夏空や いとうあさこの 生きるって
  (なつぞらや いとうあさこの いきるって)
   ※ラジオのインタビュー番組で「いとうあさこ」
    を聞いた。最後半でこれからの抱負と訊かれ、
    ただ「生きる」、「生きること」って答えて
    いた。孤独な気っ風を感じたね。


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