ダクタク句集2022年(令和4年)4月 [ダクタク2022年4月]
4/30sat
我が道を 行く人稀に 荷風の忌
(わがみちを いくひとまれに かふうのき)
白足袋の 軒に干されて 四月尽
(しろたびの のきにほされて しがつじん)
※NHKの王朝文学講座をYouTubeで聴き始めて3
カ月。更級日記、和泉式部日記を聞き流した。
犬の散歩の途中にである。それでも多く登場す
る和歌に接して親しみを感じるようになった。
今日の後者の句にも、続けて七七が出る。上等
ではないが。
「白足袋の 軒に干されて 四月尽
紺地の足袋の 普段なつかし」
「良いことの ながりし四月 疾く過ぎん
枕に脈の 音の健やか」
4/29fri
あちこちで 遂に顔伏す 目借時
(あちこちで ついにかおふす めかりどき)
合宿所 窓開け放つ 春の闇
(がっしゅくじょ まどあけはなつ はるのやみ)
※コロナ禍の近況2句。図書館は読書室使用を条
件付きで再開。隣の人が遠いのでつい安心して
コックリ。昨年クラスターを出してしまった高
校の大きな合宿所は今なお閉鎖中。
4/28thu
新年度 なお坂道の 塾通い
(しんねんどなおさかみちのじゅくがよい)
雪形を 見る人しのぶ メールかな
(ゆきがたをみるひとしのぶめーるかな)
4/27wed
描きつつ 春は病いの 憂さくらべ
(えがきつつ はるはやまいの うさくらべ)
オオデマリ アイリスともに 吾嬲り
(おおでまり あいりすともに われなぶり)
※月2回の絵画教室は絵よりもおしゃべり? オ
オデマリと紫色のアイリスの対照の妙は難しす
ぎる。
4/26tue
草を刈る 鎌の研ぎ初め 日永かな
(くさをかる かまのとぎそめ ひながかな)
ようやくの雨音や 晩春を寝る
(ようやくのあまおとや ばんしゅんをねる)
4/25mon
逃げ水の 先に閉じにし 校舎あり
(にげみずのさきにとじにしこうしゃあり)
※こちらも御多聞に漏れず郊外の小中学校を中心
になお統廃合の話がある。生活圏、友人知人、
仕事や親戚などとの関係、果ては選挙の地盤な
ど、近くに訊けばナルホドと同情が大きくなる。
4/24sun
女二人 スイカの苗の 良し悪し
(おんなふたり すいかのなえの よしわるし)
※当地で西瓜の苗が植え時。例年のごとく2苗だ
けポットで買ってきた。ちょっと遅めのわりに
値段が安い。それでは接ぎ木の苗ではないなと
疑う。案の定。
4/23sat
春の黄に 土偶のまなこ 和らげり
(はるのきに どぐうのまなこ やわらげり)
石楠花や 女御の日記 思わるる
(しゃくなげや にょうごのにっき おもわるる)
4/22fri
田は霞む 植うる順番 我にあり
(たはかすむ ううるじゅんばん われにあり)
すみれ野に埃 顔出す戦車兵
(すみれのにほこり かおだすせんしゃへい)
※ウクライナの要衝マウリポリをめぐる局面が
最終期にある。すみれ野と街を蹂躙すること
は許されない。兵は無表情だ。
4/21thu
ミズキ咲き 木の花なべて 白い朝
(みずきさき きのはななべて しろいあさ)
※石楠花の白い花が満開で、白の花ミズキとク
レマチスが加わった。この季節は期せずして
我が家の庭はちょっと大仰だが「白の競演」
となる。花ニラの消えたあとには白い小さな
ユリ形の花が咲いて、地で白の駄目押しをし
ている。
4/20wed
城はサクラ 路地には黒き 板の塀
(しろはさくら ろじにはくろき いたのへい)
※郷里会津のサクラの盛りは子供時代の昔4月
20日前後であったと思う。戊辰戦役で城下
中心部の古い建物は残っていなかったが、城
下町の人の風情とその人々が家屋に託す矜持
がここかしこにあった(ように思う)。
4/19tue
こころみの 源氏分厚き 春の宵
(こころみの げんじぶあつき はるのよい)
※YouTubeのNHK古典講座で「更級日記」を散
歩の時に聞いている。慣れないことだけれど、
せっかくのスマホのギガを有効活用!するた
めだ。テキストもなし、理解不十分も気にし
ないで、45分×27回を一周聞き終えた。
かなりの新発見があり、大雑把でも習得の体
験は実に久しぶりだ。作者の源氏物語への傾
倒ぶりが随所に現れることも初めてわかった。
4/18mon
風やんで ほんの春雨 耳たてる
(かぜやんで ほんのはるさめ みみたてる)
奥穂高 置きし小石よ 風光る
(おくほだか おきしこいしよ かぜひかる)
めがねかけ 少なくなりし 芹摘みぬ
(めがねかけ すくなくなりし せりつみぬ)
4/16sat
数を聞く 老舗爺売る 桜餅
(かずをきく しにせじじうる さくらもち)
※この季節は桜餅専業とも見える。うーん、や
っぱりコンビニ買いのものとは違う。
花ミズキ 宝飾着物 買い取ると
(はなみずき ほうしょくきもの かいとると)
4/15fri
観音堂 五百年の春 大庇
(かんのんどう ごひゃくねんのはる おおひさし)
※桜見物の足を伸ばし、鳳来寺観音堂再訪を果
たした。初めの時よりしっかり保全されてい
るようで一安心。相変わらずの優美さ。周囲
のサクラを眺めて弁当を開く。
4/14thu
葉桜や 病院互いに 付き添いぬ
(はざくらや びょういんたがいに つきそいぬ)
石楠花の 蕾落とさじ 妻の声
(しゃくなげの つぼみおとさじ つまのこえ)
4/13wed
啄木忌 費え支えし 金田一
(たくぼくき ついえささえし きんだいち)
※同郷の先輩金田一京助は文学上の付き合いの
みならず、常に貧困だった東京の啄木に何く
れとなく援助をした。ちなみに小生の中高使
用の国語辞書は金田一の手になるものだ。
4/12tue
花ニラの 群れるを踏まず 猫黒子
(はなにらの むれるをふまず ねこくろこ)
花冷えや 今宵だけとて 床の暖
(はなびえや こよいだけとて とこのだん)
4/11mon
高齢者試験通れり春の膳
(こうれいしゃしけんとおれりはるのぜん)
※家人の免許更新試験、難関の暗誦試験を優秀
な成績で通過したらしい。これは医者の見立
て以上に安心材料、目出度い。
4/10sun
春の朝手の皺深くなりにけり
(はるのあさてのしわふかくなりにけり)
人間は退歩するらし春爛漫
(にんげんはたいほするらしはるらんまん)
4/9sat
山小屋の 春曙は 闇多く
(やまごやの はるあけぼのは やみおおく)
※久しぶりに若い時に山に行った夢を見た。真
っ暗な中でここはどこだろうと息をひそめて
いると、僅かな窓に山が次第に見えてきた。
安心。山小屋だ、ここは。
4/7thu
風車売り 夢に長屋の前におり
(かざぐるまうり ゆめにながやのまえにおり)
春灯 女二人の 声低く
(はるあかし おんなふたりの こえひくく)
※春は茫漠と夢に遊び、覚めては霞の果てに夕
日を見送る。やや退廃的な心地こそ、季節の
特権なりしも、それを許さざるはだれ。
4/6wed
眺めては また剪定の 日和かな
(ながめては またせんていの ひよりかな)
※柿の木も若芽が出てきた。当家で図抜けて遅
いのはぶどうだ。剪定は一応終えているので
格子のバーに誘引する。これもYouTubeで学
習したから方法は進化したはずだ。
ところが剪定のやり残しが多く見つかる。や
っぱり杜撰だな。
4/4mon
花冷えや 親のビデオの 仕舞い方
(はなびえや おやのびでおの しまいかた)
※生前の両親を撮影したビデオが結構ある。い
ずれもちゃんと編集整理したものだ。他のメ
ディアは散逸しても一向に構わないが、これ
だけは親の面影を残す唯一のものであり、大
げさだが墓をどう整理して後につなぐかを考
えるのと同じ心境だ。
4/3sun
蝉貰う人 喜寿となる 連翹忌
(せみもらうひと きじゅとなる れんぎょうき)
※4月2日は高村光太郎の命日。連翹忌という。
30年ほども前の出張の帰りに、友人と花巻市
郊外の高村光太郎旧居を訪れた。辺り一面深い
雪が積もっていて、今のように保存のための上
屋がなかった旧居は見るからに粗末で寒く、す
き間から雪原が覗けた。戦後すぐに、宮沢賢治
の縁繋がりでこの地を選び、隠れ住むように囲
炉裏に坐して自戒自省の数年を過ごした。
近くに農家はない、地元の人とも交わりを避
けていた。例外は村の子供たちで交遊があった
とか。特に花巻まで買い出しに行ってもどる光
太郎から飴玉を貰うのが楽しみだったと言う。
小さな彫り物を貰うこともあったとか。当時の
子供の一人が、たまたま我々が利用したバスの
運転手だった。発車時刻までの生き証人?の話。
4/2sat
ジャカランダ
ホウオウボクになに 四月バカ
(じゃからんだ ほうおうぼくになに しがつばか)
※熱帯三大花樹のことを言っている。もう一つは
アフリカン・チューリップ・ツリー。別名カエ
ンボク。日本でいうチューリップツリー(別名
半纏の木)とは似ても似つかぬが。
友人撮影の写真が載る蝶のカレンダー、4月は
ホウオウボクの真っ赤な花、花、花に憩うヘレ
ナキシタアゲハ。
4/1fri
柳芽吹く 根岸の里の くねり道
(やなぎめぶく ねぎしのさとの くねりみち)
※都心を歩く会は中断して久しい。遠慮のない友
人と連れ立っての歩き会は実に楽しいものだっ
た。子規庵を訪ねたあと根岸の古い道を辿ると
青々とした柳並木の道があった。5年ほども前
になる。季節は違うが光景がよみがえる。今は
子規庵も閉鎖中と聞いた。
我が道を 行く人稀に 荷風の忌
(わがみちを いくひとまれに かふうのき)
白足袋の 軒に干されて 四月尽
(しろたびの のきにほされて しがつじん)
※NHKの王朝文学講座をYouTubeで聴き始めて3
カ月。更級日記、和泉式部日記を聞き流した。
犬の散歩の途中にである。それでも多く登場す
る和歌に接して親しみを感じるようになった。
今日の後者の句にも、続けて七七が出る。上等
ではないが。
「白足袋の 軒に干されて 四月尽
紺地の足袋の 普段なつかし」
「良いことの ながりし四月 疾く過ぎん
枕に脈の 音の健やか」
4/29fri
あちこちで 遂に顔伏す 目借時
(あちこちで ついにかおふす めかりどき)
合宿所 窓開け放つ 春の闇
(がっしゅくじょ まどあけはなつ はるのやみ)
※コロナ禍の近況2句。図書館は読書室使用を条
件付きで再開。隣の人が遠いのでつい安心して
コックリ。昨年クラスターを出してしまった高
校の大きな合宿所は今なお閉鎖中。
4/28thu
新年度 なお坂道の 塾通い
(しんねんどなおさかみちのじゅくがよい)
雪形を 見る人しのぶ メールかな
(ゆきがたをみるひとしのぶめーるかな)
4/27wed
描きつつ 春は病いの 憂さくらべ
(えがきつつ はるはやまいの うさくらべ)
オオデマリ アイリスともに 吾嬲り
(おおでまり あいりすともに われなぶり)
※月2回の絵画教室は絵よりもおしゃべり? オ
オデマリと紫色のアイリスの対照の妙は難しす
ぎる。
4/26tue
草を刈る 鎌の研ぎ初め 日永かな
(くさをかる かまのとぎそめ ひながかな)
ようやくの雨音や 晩春を寝る
(ようやくのあまおとや ばんしゅんをねる)
4/25mon
逃げ水の 先に閉じにし 校舎あり
(にげみずのさきにとじにしこうしゃあり)
※こちらも御多聞に漏れず郊外の小中学校を中心
になお統廃合の話がある。生活圏、友人知人、
仕事や親戚などとの関係、果ては選挙の地盤な
ど、近くに訊けばナルホドと同情が大きくなる。
4/24sun
女二人 スイカの苗の 良し悪し
(おんなふたり すいかのなえの よしわるし)
※当地で西瓜の苗が植え時。例年のごとく2苗だ
けポットで買ってきた。ちょっと遅めのわりに
値段が安い。それでは接ぎ木の苗ではないなと
疑う。案の定。
4/23sat
春の黄に 土偶のまなこ 和らげり
(はるのきに どぐうのまなこ やわらげり)
石楠花や 女御の日記 思わるる
(しゃくなげや にょうごのにっき おもわるる)
4/22fri
田は霞む 植うる順番 我にあり
(たはかすむ ううるじゅんばん われにあり)
すみれ野に埃 顔出す戦車兵
(すみれのにほこり かおだすせんしゃへい)
※ウクライナの要衝マウリポリをめぐる局面が
最終期にある。すみれ野と街を蹂躙すること
は許されない。兵は無表情だ。
4/21thu
ミズキ咲き 木の花なべて 白い朝
(みずきさき きのはななべて しろいあさ)
※石楠花の白い花が満開で、白の花ミズキとク
レマチスが加わった。この季節は期せずして
我が家の庭はちょっと大仰だが「白の競演」
となる。花ニラの消えたあとには白い小さな
ユリ形の花が咲いて、地で白の駄目押しをし
ている。
4/20wed
城はサクラ 路地には黒き 板の塀
(しろはさくら ろじにはくろき いたのへい)
※郷里会津のサクラの盛りは子供時代の昔4月
20日前後であったと思う。戊辰戦役で城下
中心部の古い建物は残っていなかったが、城
下町の人の風情とその人々が家屋に託す矜持
がここかしこにあった(ように思う)。
4/19tue
こころみの 源氏分厚き 春の宵
(こころみの げんじぶあつき はるのよい)
※YouTubeのNHK古典講座で「更級日記」を散
歩の時に聞いている。慣れないことだけれど、
せっかくのスマホのギガを有効活用!するた
めだ。テキストもなし、理解不十分も気にし
ないで、45分×27回を一周聞き終えた。
かなりの新発見があり、大雑把でも習得の体
験は実に久しぶりだ。作者の源氏物語への傾
倒ぶりが随所に現れることも初めてわかった。
4/18mon
風やんで ほんの春雨 耳たてる
(かぜやんで ほんのはるさめ みみたてる)
奥穂高 置きし小石よ 風光る
(おくほだか おきしこいしよ かぜひかる)
めがねかけ 少なくなりし 芹摘みぬ
(めがねかけ すくなくなりし せりつみぬ)
4/16sat
数を聞く 老舗爺売る 桜餅
(かずをきく しにせじじうる さくらもち)
※この季節は桜餅専業とも見える。うーん、や
っぱりコンビニ買いのものとは違う。
花ミズキ 宝飾着物 買い取ると
(はなみずき ほうしょくきもの かいとると)
4/15fri
観音堂 五百年の春 大庇
(かんのんどう ごひゃくねんのはる おおひさし)
※桜見物の足を伸ばし、鳳来寺観音堂再訪を果
たした。初めの時よりしっかり保全されてい
るようで一安心。相変わらずの優美さ。周囲
のサクラを眺めて弁当を開く。
4/14thu
葉桜や 病院互いに 付き添いぬ
(はざくらや びょういんたがいに つきそいぬ)
石楠花の 蕾落とさじ 妻の声
(しゃくなげの つぼみおとさじ つまのこえ)
4/13wed
啄木忌 費え支えし 金田一
(たくぼくき ついえささえし きんだいち)
※同郷の先輩金田一京助は文学上の付き合いの
みならず、常に貧困だった東京の啄木に何く
れとなく援助をした。ちなみに小生の中高使
用の国語辞書は金田一の手になるものだ。
4/12tue
花ニラの 群れるを踏まず 猫黒子
(はなにらの むれるをふまず ねこくろこ)
花冷えや 今宵だけとて 床の暖
(はなびえや こよいだけとて とこのだん)
4/11mon
高齢者試験通れり春の膳
(こうれいしゃしけんとおれりはるのぜん)
※家人の免許更新試験、難関の暗誦試験を優秀
な成績で通過したらしい。これは医者の見立
て以上に安心材料、目出度い。
4/10sun
春の朝手の皺深くなりにけり
(はるのあさてのしわふかくなりにけり)
人間は退歩するらし春爛漫
(にんげんはたいほするらしはるらんまん)
4/9sat
山小屋の 春曙は 闇多く
(やまごやの はるあけぼのは やみおおく)
※久しぶりに若い時に山に行った夢を見た。真
っ暗な中でここはどこだろうと息をひそめて
いると、僅かな窓に山が次第に見えてきた。
安心。山小屋だ、ここは。
4/7thu
風車売り 夢に長屋の前におり
(かざぐるまうり ゆめにながやのまえにおり)
春灯 女二人の 声低く
(はるあかし おんなふたりの こえひくく)
※春は茫漠と夢に遊び、覚めては霞の果てに夕
日を見送る。やや退廃的な心地こそ、季節の
特権なりしも、それを許さざるはだれ。
4/6wed
眺めては また剪定の 日和かな
(ながめては またせんていの ひよりかな)
※柿の木も若芽が出てきた。当家で図抜けて遅
いのはぶどうだ。剪定は一応終えているので
格子のバーに誘引する。これもYouTubeで学
習したから方法は進化したはずだ。
ところが剪定のやり残しが多く見つかる。や
っぱり杜撰だな。
4/4mon
花冷えや 親のビデオの 仕舞い方
(はなびえや おやのびでおの しまいかた)
※生前の両親を撮影したビデオが結構ある。い
ずれもちゃんと編集整理したものだ。他のメ
ディアは散逸しても一向に構わないが、これ
だけは親の面影を残す唯一のものであり、大
げさだが墓をどう整理して後につなぐかを考
えるのと同じ心境だ。
4/3sun
蝉貰う人 喜寿となる 連翹忌
(せみもらうひと きじゅとなる れんぎょうき)
※4月2日は高村光太郎の命日。連翹忌という。
30年ほども前の出張の帰りに、友人と花巻市
郊外の高村光太郎旧居を訪れた。辺り一面深い
雪が積もっていて、今のように保存のための上
屋がなかった旧居は見るからに粗末で寒く、す
き間から雪原が覗けた。戦後すぐに、宮沢賢治
の縁繋がりでこの地を選び、隠れ住むように囲
炉裏に坐して自戒自省の数年を過ごした。
近くに農家はない、地元の人とも交わりを避
けていた。例外は村の子供たちで交遊があった
とか。特に花巻まで買い出しに行ってもどる光
太郎から飴玉を貰うのが楽しみだったと言う。
小さな彫り物を貰うこともあったとか。当時の
子供の一人が、たまたま我々が利用したバスの
運転手だった。発車時刻までの生き証人?の話。
4/2sat
ジャカランダ
ホウオウボクになに 四月バカ
(じゃからんだ ほうおうぼくになに しがつばか)
※熱帯三大花樹のことを言っている。もう一つは
アフリカン・チューリップ・ツリー。別名カエ
ンボク。日本でいうチューリップツリー(別名
半纏の木)とは似ても似つかぬが。
友人撮影の写真が載る蝶のカレンダー、4月は
ホウオウボクの真っ赤な花、花、花に憩うヘレ
ナキシタアゲハ。
4/1fri
柳芽吹く 根岸の里の くねり道
(やなぎめぶく ねぎしのさとの くねりみち)
※都心を歩く会は中断して久しい。遠慮のない友
人と連れ立っての歩き会は実に楽しいものだっ
た。子規庵を訪ねたあと根岸の古い道を辿ると
青々とした柳並木の道があった。5年ほども前
になる。季節は違うが光景がよみがえる。今は
子規庵も閉鎖中と聞いた。