ダクタク句集2023年(令和5年)6月 [ダクタク2023年6月]
6/30fri
鬘着けて新内流しの夏越しかな
(づらつけてしんないながしのなごしかな)
友の家茅の輪の先の根津辺り
(とものいえちのわのさきのねづあたり)
受けとりし賀状また読む夏越しかな
(うけとりしがじょうまたよむなごしかな)
※若い頃から習慣がなかった「夏越し払い」。
正月に貰った賀状をこの機会に読む。初見
の当座はああもしよう、こうもしようとレ
スポンスを考えた筈が、見事にそのままに
なっている。まあいつものことだ。ところ
が今年は夏越しの祓いで一歩だけ賢くなる。
6/29thu
野仏や六月記憶やや掠れ
(のぼとけやろくがつきおくややかすれ)
※家内の誕生日をつい忘れ、三日も過ぎて気づ
いた。やってしまった。何日か前まではちゃ
んと覚えていたのに。
予定や用事を書きこむカレンダーには一切メ
モがないから底意地が悪い。しかしそれは口
に出さずにぐっとこらえて息を呑む。
6/28wed
シューベルトの梅雨ホロビッツの皺の指
(しゅーべるとのつゆほろびっつのしわのゆび)
※音楽を聴くメディアの変遷は振り返ればすさ
まじい。その時々で違うメディアに集めまく
った。特大のFMアンテナを張ってテープに録
音、ビデオテープが主流になるとよせばいい
のにこれに何百本。その間レコードとCDはコ
ンスタントに買い続けた。それらは今価値ゼ
ロではないにしても。
今やネットでなにもかも安易に手に入る。少
しお金をかければ音質も中の上ぐらいはいく。
なにより昔敬遠したホロヴィッツの長い指が
目の前でシューベルトを、スカルラッティを
奏でる。
6/26mon
歌もれて公民館に傘多し
(うたもれてこうみんかんにかさおおし)
梅雨晴れや元善光寺といふを知る
(つゆばれやもとぜんこうじというをしる)
6/25sun
背を正す体操をして昼寝かな
(せをただすたいそうをしてひるねかな)
髪洗ふ女しばしの昼寝かな
(かみあらうおんなしばしのひるねかな)
※短い昼寝には珍しく夢を、しかも良い夢を
見た。長い黒髪をしっかり洗う若い女が現
れた。なぜか香しい匂いを感じていた。こ
んな夢が自在に見れるのであれば、この、
背の曲がった男の余生にも少しは彩りがあ
ろうというものだが。それにしても今日の
日中は蒸し暑かった。ああ、途端に現実が
・・・。
6/23fri
梅雨籠り無愛な男にて難し
(つゆごもりぶあいなおとこにてかたし)
鉛筆を手探りおりし梅雨の朝
(えんぴつをてさぐりおりしつゆのあさ)
梅雨寒や摘果の桃の香りかな
(つゆざむやてきかのもものかおりかな)
6/22thu
夏至の日や豪雨とならぬ日々が過ぎ
(げしのひやごううとならぬひびがすぎ)
故郷の歳時記梅雨に父に会う
(ふるさとのさいじきつゆにちちにあう)
※昭和55年に編まれた、その名も「会津歳
時記」。丁寧な作りで編集も行き届いてい
る。父親の句が約50句ほど、採用されて
いる。あの頃父親は句作低調、友人から叱
咤の声があったのを知っている。父の句を
味わうのにあまり冷静ではない。「もっと
後に良い句があるよ」と言ってしまう。
6/20tue
大谷はワイパー梅雨の鬱屈を
(おおたにはわいぱーつゆのうっくつを)
扇風機出した日豚をたんと食い
(せんぷうきだしたひぶたをたんとくい)
6/19mon
子規の家漱石の家梅雨を行く
(しきのいえそうせきのいえつゆをいく)
※明治28年子規は漱石のいない家を訪ね、漱
石の結婚話の助けになろうとした。根岸か
ら早稲田馬場下まで。遠いようで近い?
ナビで測ったら7km弱、健脚なら90分。
大喀血を経た子規は人力車で行ったか。
明治人は行き来を苦にしなかった。
その年の暮、子規はこんな句を残している。
漱石が来て虚子が来て大三十日
(そうせきがきてきょしがきておおみそか)
6/18sun
大雷雨集会所の戸閉める人
(だいらいうしゅうかいじょのとしめるひと)
雨上がる何年ぶりの裸足の子
(あめあがるなんねんぶりのはだしのこ)
※梅雨も悪いもんじゃない。街中の、住宅地
の様々な光景に素直にふれることが多い。
ランドセルをガバガバ揺らして裸足で家に
帰る子・・・昔いたなァ。
6/15thu
扇風機出す日に豚をたんと買い
(せんぷうきだすひにぶたをたんとかい)
青蜥蜴二日いて白く帰りたり
(あおとかげふつかいてしろくかえりたり)
6/14wed
紫陽花や新しき画帳をおろす
(あじさいやあたらしきがちょうをおろす)
紫陽花や紫と黄と青と水
(あじさいやむらさきときとあおとみず)
※6月の絵画教室、画材はやっぱりアジサイ。
持ち寄るのは自慢の西洋アジサイ。それを
更に選ぶから、機嫌よく描くには程遠い豪
華さとなる。ひっそりと咲く額アジサイも
いいのにね、などとぼやいてみせて下手な
絵となる。
6/13tue
ユリノキの花を見る雨の日三日
(ゆりのきのはなをみるあめのひみっか)
夏沙羅の花は梅雨時露を抱き
(なつしゃらのはなはつゆどきつゆをだき)
6/12mon
犬の咳やみてもいかに夏の朝
(いぬのせきやみてもいかになつのあさ)
蓮実茶事まねて朝五時ボトル持ち
(はすみちゃじまねてあさごじぼとるもち)
※飼い犬の体調が良くない日々が続き、持病
の咳込みが重なって、夜中に苦し気にする
ことがある。おさまると、そういう日に限
って早朝の散歩を喜ぶ。睡眠不足でこっち
がフラッとすることも。
6/11sun
梅雨寒や妻はチラシを畳まざる
(つゆざむやつまはちらしをたたまざる)
6/10sat
梅雨の朝鉛一色動かざる
(つゆのあさなまりいっしょくうごかざる)
※何十年も前の北海道勤務の時、同じ6月の頃、
梅雨はないという北海道、確かに梅雨らしい
降雨はなかった。しかし来る日も来る日も重
たい曇り空が続いた。梅雨空はあった。
あの鉛の空の連続は若者には重たかった。
6/9fri
一文字も書かず候ふ梅雨に入る
(ひともじもかかずそうろうつゆにいる)
※「今日は朝からなにも書いていない、読んで
もいない」と書いている漱石の葉書があった。
今日はそんな日、関東梅雨入り。
梅雨入りや亡母の誕生日を忘れ
(つゆいりやははのたんじょうびをわすれ)
6/7wed
ビール飲んでやがてはつのる折節を
(びーるのんでやがてはつのるおりふしを)
※先日5/17の東京行続き。打ち上げ。
ビールも2杯も入ったところで、3年半ぶり
の割には・・・通常の話だったなァ。孫がど
うの、膝が痛いの、とか。そこがいい。
友人の打ち上げの句が
「夏の灯やここがと脚をさすりけり」
(なつのひやここがとあしをさすりけり)
「願わくは今しばらくの息災を」
(ねがわくはいましばらくのそくさいを)
6/6tue
梅雨近し物皆上がるという暮らし
(つゆちかしものみなあがるというくらし)
※戦争の影響の一つが物資不足、価格高騰とな
って世界に蔓延している。実質上の負を「補
償」するための賃金上昇、足りないとか言う
が、この「補償」のためのアクションが方々
でやってもよくなったことが最大の変革にな
る。不足でもいい、過剰もいい、便乗でもい
い、名目がすべて上がる。
この戦争、実は日本が仕組んだのかも。
風吹くも西瓜本葉の伸び盛り
(かぜふくもすいかほんばののびざかり)
6/4sun
交番でファミレスたずね夏帽子
(こうばんでふぁみれすたずねなつぼうし)
※早稲田界隈の土地勘もはやゼロ。居酒屋もま
まならず、いっそファミレスならと交番に飛
び込む。正解。冷たい生ビールがすぐそばで
待っていた。
6/3sat
妻と子に文豪端居する山房
(つまとこにぶんごうはしいするさんぼう)
※広い家で弟子たちの出入りも多かった。漱石
のやや潔癖すぎる神経症的性格からすれば亭
主関白を予想できるが、漱石家の主導権はや
っぱり妻子側に合ったのではないか? まと
もに戦をするのも馬鹿げていると端居するこ
とも多かったのでは? こちらの想像の方が
ずっと楽しい。
6/2fri
硝子戸に青く蚊遣りの登りたる
(がらすどにあおくかやりののぼりたる)
白地着て認めたらむ巻の文
(しろじきてしたためたらんまきのふみ)
※先日の東京行続き。漱石山房記念館。
2017年に漱石最後の住まいを旧居跡に復
元したもの。空襲で焼失したのだが、弟子が
疎開させた書籍類、住居図面、写真、資料等
をもとに畳敷きの書斎を復元している。
筆まめだった漱石の巻紙の手紙や当時の手紙、
原稿類などが展示されている。
6/1thu
暑き日や漱石が街迂回せり
(あつきひやそうせきがまちうかいせり)
※先日の東京行続き。
コロナ禍を挟んで3年半ぶり。今回は出掛け
て、会って、喋ることが何よりの目的なのだ
が、早稲田に出来た「漱石山房記念館」に立
ち寄ることでコース選定をした。ところが街
歩きが予想より長時間に及び、クソ暑かった
ことで夏目坂に着くころにはへたへたになっ
た。生家跡、菩提寺、買い物をしただろう路
地の店とか「漱石が街」はカットして記念館
に直行することに。なに、何々跡と書いたも
のがあるだけだから。
鬘着けて新内流しの夏越しかな
(づらつけてしんないながしのなごしかな)
友の家茅の輪の先の根津辺り
(とものいえちのわのさきのねづあたり)
受けとりし賀状また読む夏越しかな
(うけとりしがじょうまたよむなごしかな)
※若い頃から習慣がなかった「夏越し払い」。
正月に貰った賀状をこの機会に読む。初見
の当座はああもしよう、こうもしようとレ
スポンスを考えた筈が、見事にそのままに
なっている。まあいつものことだ。ところ
が今年は夏越しの祓いで一歩だけ賢くなる。
6/29thu
野仏や六月記憶やや掠れ
(のぼとけやろくがつきおくややかすれ)
※家内の誕生日をつい忘れ、三日も過ぎて気づ
いた。やってしまった。何日か前まではちゃ
んと覚えていたのに。
予定や用事を書きこむカレンダーには一切メ
モがないから底意地が悪い。しかしそれは口
に出さずにぐっとこらえて息を呑む。
6/28wed
シューベルトの梅雨ホロビッツの皺の指
(しゅーべるとのつゆほろびっつのしわのゆび)
※音楽を聴くメディアの変遷は振り返ればすさ
まじい。その時々で違うメディアに集めまく
った。特大のFMアンテナを張ってテープに録
音、ビデオテープが主流になるとよせばいい
のにこれに何百本。その間レコードとCDはコ
ンスタントに買い続けた。それらは今価値ゼ
ロではないにしても。
今やネットでなにもかも安易に手に入る。少
しお金をかければ音質も中の上ぐらいはいく。
なにより昔敬遠したホロヴィッツの長い指が
目の前でシューベルトを、スカルラッティを
奏でる。
6/26mon
歌もれて公民館に傘多し
(うたもれてこうみんかんにかさおおし)
梅雨晴れや元善光寺といふを知る
(つゆばれやもとぜんこうじというをしる)
6/25sun
背を正す体操をして昼寝かな
(せをただすたいそうをしてひるねかな)
髪洗ふ女しばしの昼寝かな
(かみあらうおんなしばしのひるねかな)
※短い昼寝には珍しく夢を、しかも良い夢を
見た。長い黒髪をしっかり洗う若い女が現
れた。なぜか香しい匂いを感じていた。こ
んな夢が自在に見れるのであれば、この、
背の曲がった男の余生にも少しは彩りがあ
ろうというものだが。それにしても今日の
日中は蒸し暑かった。ああ、途端に現実が
・・・。
6/23fri
梅雨籠り無愛な男にて難し
(つゆごもりぶあいなおとこにてかたし)
鉛筆を手探りおりし梅雨の朝
(えんぴつをてさぐりおりしつゆのあさ)
梅雨寒や摘果の桃の香りかな
(つゆざむやてきかのもものかおりかな)
6/22thu
夏至の日や豪雨とならぬ日々が過ぎ
(げしのひやごううとならぬひびがすぎ)
故郷の歳時記梅雨に父に会う
(ふるさとのさいじきつゆにちちにあう)
※昭和55年に編まれた、その名も「会津歳
時記」。丁寧な作りで編集も行き届いてい
る。父親の句が約50句ほど、採用されて
いる。あの頃父親は句作低調、友人から叱
咤の声があったのを知っている。父の句を
味わうのにあまり冷静ではない。「もっと
後に良い句があるよ」と言ってしまう。
6/20tue
大谷はワイパー梅雨の鬱屈を
(おおたにはわいぱーつゆのうっくつを)
扇風機出した日豚をたんと食い
(せんぷうきだしたひぶたをたんとくい)
6/19mon
子規の家漱石の家梅雨を行く
(しきのいえそうせきのいえつゆをいく)
※明治28年子規は漱石のいない家を訪ね、漱
石の結婚話の助けになろうとした。根岸か
ら早稲田馬場下まで。遠いようで近い?
ナビで測ったら7km弱、健脚なら90分。
大喀血を経た子規は人力車で行ったか。
明治人は行き来を苦にしなかった。
その年の暮、子規はこんな句を残している。
漱石が来て虚子が来て大三十日
(そうせきがきてきょしがきておおみそか)
6/18sun
大雷雨集会所の戸閉める人
(だいらいうしゅうかいじょのとしめるひと)
雨上がる何年ぶりの裸足の子
(あめあがるなんねんぶりのはだしのこ)
※梅雨も悪いもんじゃない。街中の、住宅地
の様々な光景に素直にふれることが多い。
ランドセルをガバガバ揺らして裸足で家に
帰る子・・・昔いたなァ。
6/15thu
扇風機出す日に豚をたんと買い
(せんぷうきだすひにぶたをたんとかい)
青蜥蜴二日いて白く帰りたり
(あおとかげふつかいてしろくかえりたり)
6/14wed
紫陽花や新しき画帳をおろす
(あじさいやあたらしきがちょうをおろす)
紫陽花や紫と黄と青と水
(あじさいやむらさきときとあおとみず)
※6月の絵画教室、画材はやっぱりアジサイ。
持ち寄るのは自慢の西洋アジサイ。それを
更に選ぶから、機嫌よく描くには程遠い豪
華さとなる。ひっそりと咲く額アジサイも
いいのにね、などとぼやいてみせて下手な
絵となる。
6/13tue
ユリノキの花を見る雨の日三日
(ゆりのきのはなをみるあめのひみっか)
夏沙羅の花は梅雨時露を抱き
(なつしゃらのはなはつゆどきつゆをだき)
6/12mon
犬の咳やみてもいかに夏の朝
(いぬのせきやみてもいかになつのあさ)
蓮実茶事まねて朝五時ボトル持ち
(はすみちゃじまねてあさごじぼとるもち)
※飼い犬の体調が良くない日々が続き、持病
の咳込みが重なって、夜中に苦し気にする
ことがある。おさまると、そういう日に限
って早朝の散歩を喜ぶ。睡眠不足でこっち
がフラッとすることも。
6/11sun
梅雨寒や妻はチラシを畳まざる
(つゆざむやつまはちらしをたたまざる)
6/10sat
梅雨の朝鉛一色動かざる
(つゆのあさなまりいっしょくうごかざる)
※何十年も前の北海道勤務の時、同じ6月の頃、
梅雨はないという北海道、確かに梅雨らしい
降雨はなかった。しかし来る日も来る日も重
たい曇り空が続いた。梅雨空はあった。
あの鉛の空の連続は若者には重たかった。
6/9fri
一文字も書かず候ふ梅雨に入る
(ひともじもかかずそうろうつゆにいる)
※「今日は朝からなにも書いていない、読んで
もいない」と書いている漱石の葉書があった。
今日はそんな日、関東梅雨入り。
梅雨入りや亡母の誕生日を忘れ
(つゆいりやははのたんじょうびをわすれ)
6/7wed
ビール飲んでやがてはつのる折節を
(びーるのんでやがてはつのるおりふしを)
※先日5/17の東京行続き。打ち上げ。
ビールも2杯も入ったところで、3年半ぶり
の割には・・・通常の話だったなァ。孫がど
うの、膝が痛いの、とか。そこがいい。
友人の打ち上げの句が
「夏の灯やここがと脚をさすりけり」
(なつのひやここがとあしをさすりけり)
「願わくは今しばらくの息災を」
(ねがわくはいましばらくのそくさいを)
6/6tue
梅雨近し物皆上がるという暮らし
(つゆちかしものみなあがるというくらし)
※戦争の影響の一つが物資不足、価格高騰とな
って世界に蔓延している。実質上の負を「補
償」するための賃金上昇、足りないとか言う
が、この「補償」のためのアクションが方々
でやってもよくなったことが最大の変革にな
る。不足でもいい、過剰もいい、便乗でもい
い、名目がすべて上がる。
この戦争、実は日本が仕組んだのかも。
風吹くも西瓜本葉の伸び盛り
(かぜふくもすいかほんばののびざかり)
6/4sun
交番でファミレスたずね夏帽子
(こうばんでふぁみれすたずねなつぼうし)
※早稲田界隈の土地勘もはやゼロ。居酒屋もま
まならず、いっそファミレスならと交番に飛
び込む。正解。冷たい生ビールがすぐそばで
待っていた。
6/3sat
妻と子に文豪端居する山房
(つまとこにぶんごうはしいするさんぼう)
※広い家で弟子たちの出入りも多かった。漱石
のやや潔癖すぎる神経症的性格からすれば亭
主関白を予想できるが、漱石家の主導権はや
っぱり妻子側に合ったのではないか? まと
もに戦をするのも馬鹿げていると端居するこ
とも多かったのでは? こちらの想像の方が
ずっと楽しい。
6/2fri
硝子戸に青く蚊遣りの登りたる
(がらすどにあおくかやりののぼりたる)
白地着て認めたらむ巻の文
(しろじきてしたためたらんまきのふみ)
※先日の東京行続き。漱石山房記念館。
2017年に漱石最後の住まいを旧居跡に復
元したもの。空襲で焼失したのだが、弟子が
疎開させた書籍類、住居図面、写真、資料等
をもとに畳敷きの書斎を復元している。
筆まめだった漱石の巻紙の手紙や当時の手紙、
原稿類などが展示されている。
6/1thu
暑き日や漱石が街迂回せり
(あつきひやそうせきがまちうかいせり)
※先日の東京行続き。
コロナ禍を挟んで3年半ぶり。今回は出掛け
て、会って、喋ることが何よりの目的なのだ
が、早稲田に出来た「漱石山房記念館」に立
ち寄ることでコース選定をした。ところが街
歩きが予想より長時間に及び、クソ暑かった
ことで夏目坂に着くころにはへたへたになっ
た。生家跡、菩提寺、買い物をしただろう路
地の店とか「漱石が街」はカットして記念館
に直行することに。なに、何々跡と書いたも
のがあるだけだから。